輪島市の景観重要建造物・景観重要樹木

公開日 2020年08月01日

 景観重要建造物・景観重要樹木の指定制度は、平成16年に制定された景観法に基づき、地域の自然、歴史、文化等からみて、建造物等(建築物及び工作物、樹木)の外観が景観上の特徴を有し、地域の景観形成に重要なものについて、輪島市長が当該建造物・樹木の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。

 指定を受けた建造物等には、所有者等の適正な管理義務のほか、増築や改築、外観等の変更には輪島市長の許可が必要となりますが、建造物の外観の修理・修景に係る補助制度、樹木の保全に係る補助制度が活用できます。

輪島市では、歴史的な外観をもつ建造物等を所有し、維持・保全に努めてこられた方々への支援を行うことにより、地域の個性ある景観づくりの核となる建造物等の維持、保全及び継承を図ることを目的として、積極的に景観重要建造物・景観重要樹木の指定を行っています。

輪島市景観重要建造物

大崎家住宅【主屋:指定番号第1号】

指定日:令和元年10月31日 所在地:鳳至町上町28

〇主屋 構造:木造二階建(建築面積129m2) 建築年代:大正後期~昭和4年

 主屋は通り庭に面して部屋を配し、坪庭から通風や採光をとる町屋の形式である。漆器生産の現場ではわずかな塵や埃を嫌い、可能な限りこれらを排除するため、気温や湿度が安定した土蔵で作業を行っている。

 大崎家住宅は、当地における塗師屋の文化空間を今日まで残すものとして、価値の高い建物である。

中津家住宅【主屋:指定番号第2号】

指定日:令和元年10月31日 所在地:鳳至町上町119-3

〇主屋 構造:木造二階建(建築面積79m2) 建築年代:大正後期~昭和4年

 主屋は中庭を中心に部屋を配置し、坪庭から通風や採光をとる。町屋の形式のようでも、通り庭を設けない点で当地の伝統的な町屋の間取りとは一部異なる。

 小路に面して手摺を設け、洒脱な外観をみせ、内部は檜を多用し、上品な造作である。

 当地における大正後期から昭和前期の町屋の様式を残すものとして、価値の高い建物である。

中島家住宅【主屋:指定番号第3号/土蔵:指定番号第4号/離れ・門塀:指定番号第5号】

指定日:令和2年3月2日 所在地:鳳至町稲荷町8

〇主屋 構造:木造二階建(建築面積103m2) 建築年代:大正15年

〇土蔵 構造:土蔵造二階建(建築面積33m2) 建築年代:大正後期~昭和4年

〇離れ・門塀 構造:木造(建築面積128m2) 建築年代:大正後期~昭和4年


 主屋は木造二階建で切妻・妻入・桟瓦葺とし、西側に下屋を付ける。緩い勾配屋根で、細い格子戸をみせる。内部は、ミセの間を中心に田の字型に部屋を配し、根太天井をみせ、二階は家人の部屋として造作された。

 土蔵は土蔵造二階建で切妻・平入・桟瓦葺とし、東側に下屋を付ける。豪壮な構造材をみせ、南面より採光をとる。

 離れは木造平屋建で切妻・妻入・桟瓦葺とし、北側・西側に下屋を付ける。欄間や造作材に凝った意匠が見られ、来客のための場として設けられた。

 門前に通ずる外浦街道に面して並び建ち、往時の姿を良好に留めており、景観に連続性を持たせている。また、中庭を取り囲み配され、通風や採光をとる工夫もみられる。

 当地における酒造業の形式を今日まで残すものとして、価値の高い建物である。

塗師の家(旧広井家住宅)【主屋:指定番号6号/土蔵:指定番号7号/作業屋・門塀:指定番号8号】

指定日:令和2年7月31日 所在地:河井町1-82-3

〇主屋 構造:木造二階建(建築面積170m2) 建築年代:明治後期

〇土蔵 構造:土蔵造二階建(建築面積62m2) 建築年代:江戸後期

〇作業屋・門塀 構造:木造三階建(建築面積93m2) 建築年代:明治後期


 主屋は通り庭に面して部屋を配し、坪庭から通風や採光をとる町屋の形式である。

 漆器生産の現場では僅かな塵や埃を嫌うため、可能な限りこれらを排除するため、気温や湿度が安定した土蔵で作業を行っている。

 土蔵は土蔵造二階建で切妻・平入・桟瓦葺とし、南側に下屋をつけ、二階には上塗場(うわぬりば)を配している。

 作業場は木造三階建で切妻・妻入・桟瓦葺とし、作業室や物置を配する。

 塗師屋の文化空間を今日まで残すものとして、価値の高い建物である。

慶塚家住宅【主屋:指定番号9号/土蔵:指定番号10号/土蔵:指定番号11号/土蔵:指定番号12号/門塀:指定番号13号】

指定日:令和3年1月13号 所在地:鳳至町畠田83-7

〇主屋 構造:木造二階建(建築面積327m2) 建築年代:昭和10年

〇土蔵 構造:土蔵造二階建(建築面積59m2) 建築年代:昭和10年

〇土蔵 構造:土蔵造二階建(建築面積72m2) 建築年代:昭和10年

〇土蔵 構造:土蔵造二階建(建築面積67m2) 建築年代:昭和10年

〇門塀 構造:土蔵造二階建 建築年代:昭和10年

慶塚家住宅

市街地縁辺部にあり、広く前庭を取って主屋を置く。漆器生産の現場ではわずかな塵や埃を嫌い、可能な限りこれらを排除するため、気温や湿度が安定した土蔵で作業を行っている。

当地における塗師屋の建築様式を残すものとして、価値の高い建物である。

重蔵神社【石垣:指定番号第14号】

指 定 日:令和3年1月13日 所 在 地:河井町4-69

〇石垣 建築年代:江戸中期

重蔵神社の境内には本殿・拝殿・末社らが建ち並ぶ。これを取り囲むように長大な石垣が配置されている。石垣は、東⻄約80〜102m、南北約73〜82m、⾼さ約1.10~1.80mの⻑⼤なもので、隅⾓部は切⽯で、平⾯は⾃然⽯や河原割⽯を使⽤している。

古来より武家のみならず、近隣の村々からも崇敬をあつめており、神社や当地の歴史⽂化を伝えるものとして貴重な⼯作物である。

観音町修養館(旧柳亭)【 主屋:指定番号15号】

指 定 日:令和3年1月13日 所 在 地:河井町5-256

〇主屋 構造:木造二階建(建築面積71m2) 建築年代:昭和前期

観音町修養館(旧柳亭)は、遊郭として遅くとも大正末期までには営業を始めたとされる。昭和15年(1940)の観音町の大火の後も再建し、同33年(1958)まで営業を続けた。平成24 年(2012)、建物を所有者より輪島市が寄付を受け、住⺠でつくるまちづくり協議会の主導により、地域交流センターとして改修・活用されている。

花街の様相を今⽇まで残すものとして、価値の⾼い建物である。

うめのや(旧三昌楼)【主屋:指定番号16号/土蔵:指定番号17号】

指 定 日:令和3年1月13日 所 在 地:河井町5-254

〇主屋 構造:木造二階(建築面積:200m2) 建築年代:昭和前期

〇土蔵 構造:土蔵造(建築面積:49m2) 建築年代:昭和前期

 うめのや(旧三昌楼)は、遊郭として遅くとも大正末期までには営業を始めたとされる。昭和15年(1940)の観音町の大火の後も再建し、同33年(1958)まで営業を続け、その後は飲食店として存続した。

 花街の様相を今⽇まで残すものとして、価値の⾼い建物である。

古今家住宅(旧加能亭)【主屋:指定番号18号/土蔵:指定番号19号】

指 定 日:令和3年1月13日 所 在 地:河井町5-239

〇主屋 構造:木造二階 建築面積:208m2 建築年代:昭和初期

〇土蔵 構造:土蔵造二階 建築面積:38m2 建築年代:昭和前期

 古今家住宅(旧加能亭)は、遊郭として遅くとも大正末期までには営業を始めたとされる。昭和15年(1940)の観音町の大火の後も再建し、同33年(1958)まで営業を続けた。

 花街の様相を今⽇まで残すものとして、価値の⾼い建物である。

 

景観重要樹木

 

白藤家の黒松(樹種:クロマツ、員数:1)【指定番号第1号】

指 定 日:令和元年10月31日 所在地:鳳至町上町24

樹高:10.00m 胸高幹周囲:1.75m 幅:9.10m 樹齢:200年 

江戸中期に廻船業をはじめ、やがて質屋を経て、現在の場所で酒造りをはじめたと伝わる。中庭にある黒松は樹齢200年とされ、家屋の造作とともに植えられたと考えられている。江戸中期から今日まで鳳至上町を見つめてきた、同地区のシンボルとなっている歴史的な樹木である。

中江家の手弱女桜(樹種:タオヤメザクラ、員数:1)【指定番号第2号】

指 定 日:令和元年10月31日 所在地:石休場町上野27

樹高:10.60m 胸高幹周囲:2.40m 幅:17.40m 樹齢:70年

 この手弱女桜は現在の照福寺の旧参道、上り口付近にあったものを、県道工事の支障になり、地元住民が切り株を現在地に移植したものといわれている。

 手弱女桜(タオヤメザクラ)は里桜(サトザクラ)の一種で、平安時代の頃より観賞用として愛され、平野神社(京都)のものが原木とされる。文治二(1186)年、大屋庄の地頭となって赴任した長谷部信連の随士であった中江家の先祖が、伏見稲荷(京都)詣出に赴いたと伝わる。この際に手弱女の種か幼苗を持ち帰ったものが当地で根付いたと地元では考えられている。

 手弱女は、花は中輪・八重咲きで淡紅色が特徴で、周辺の田園を見下ろす高台に位置し、樹勢は良好である。毎年春には多くの人々を魅了しており、地域のシンボルとなっている。

中島家の垂柳檜葉(樹種:スイリュウヒバ、員数:1)【指定番号第3号】

指 定 日:令和2年3月2日 所在地:鳳至町稲荷町8

樹高:5.30m 胸高幹周囲:1.13m 幅:4.00m 樹齢:100年

 離れを造作した時期に庭園を整備したと伝わる。樹齢100年といわれる垂柳檜葉は、家屋の造作とともに植えられた。

 今日まで中島家の酒造りの歴史を見守り、来客者の目も楽しませており、同家のシンボルとなっている。

輪島漆芸美術館の江戸彼岸(樹種:エドヒガン、員数:1)【指定番号第4号】

(荘川桜の実生 荘川七郎)

指 定 日:令和2年7月31日 所在地:水守町四十苅11

樹高:7.50m 胸高幹周囲:1.00m 幅:10.00m 樹齢:44年

 荘川桜は、昭和35年(1960)に電力需要に伴うダム建設により水没する予定であったものを、前代未聞といわれた大移植作業を経てダム建設予定地から近傍に移植された。移植されてもなお力強く咲く荘川桜に勇気づけられた佐藤良二氏(故人)らがその種から育てたものが昭和51年(1976)に当地にもたらされ、翌年植樹された。

 枝葉も力強く、毎年淡い桃色の花弁が咲く。来館者を迎えるシンボルとなっている。

輪島漆器商工業協同組合の染井吉野(樹種:ソメイヨシノ、員数:1)【指定番号第5号】

指 定 日:令和2年7月31日 所在地:河井町24-59-11

樹高:8.00m 胸高幹周囲:2.80m 幅:11.0m 樹齢:90年

 当地は「森の下」と呼ばれ、かつては緑が生い茂る場所だったと伝わる。ここには旧輪島町役場がおかれ、木骨造3階建のモダンな外観は当地の名所として、また、地域のシンボルとして親しまれていた。現存する桜はその敷地内にあり、昭和48年(1973)に現在の市役所新庁舎が建設されると、旧役場は解体され、観光客を受け入れる駐車場として整備された。

 昭和20年代、30年代に度々襲った大水害にも耐え、現在も観光客らを迎える地域のシンボルとなっている。

聖光寺の染井吉野(樹種:ソメイヨシノ、員数:2)【指定番号第6号】

指 定 日:令和2年7月31日 所在地:輪島崎町1-116

(左)樹高:10.00m 胸高幹周囲:2.35m 幅:11.00m 樹齢:150年

(右)樹高: 9.00m 胸高幹周囲:2.60m 幅:11.00m 樹齢:150年

聖光寺は元は臨済宗で14世紀半ばに建立されたと伝わる。当地は能登守護畠山氏の重臣・温井氏の所領で、聖光寺は温井氏の氏寺であったが、兵火により廃寺同様であったものを、江戸初期に前田家の統治下に曹洞宗として中興、今日に至る。

 寺院には東福寺兆殿司の作画とされる十六羅漢のうち、第七の迦梨迦尊者の掛け軸一幅が伝わる。これに長谷川信春(等伯)が影響を大いに受けたと考えられており、京文化を当地に伝える有力な寺院であったことを物語っている。

 境内には大木が多くあったが、寺院の改築によりやむなく伐採されたものの一部が残存しており、樹齢150年とされる染井吉野が隆々とし、春には境内を鮮やかに染め、参拝する人々を迎える地域のシンボルとなっている。

観音町子ども公園の松(樹種:クロマツ、員数1)【指定番号第7号】

指 定 日:令和3年1月13日 所 在 地:河井町5

樹高:7.50m 胸高幹周囲:2.00m 幅:12.00m 樹齢:80年

  当地にはかつて観⾳堂があったが、兵⽕により焼失。この後、観⾳堂があった⼀帯を観⾳町と呼ぶようになったと伝わる。藩政期に当地に遊郭がおかれると、北前船の寄港地ということもあり⼤いに賑わった。

  観音町は昭和15年(1940)の⼤⽕の後、防災の観点から区画整理がなされ広場が設けられた。これは現在の観⾳町⼦どもの広場の原型であり、上空からは三味線の胴にみえることから通称「まる公園」と呼ばれている。有志が復興の記念樹として松を植え、現在も⼒強い樹勢をみせている。観⾳町の繁栄と復興の歴史をみつめてきた松は地域のシンボルとなっている。

慶塚家住宅の松(樹種:クロマツ、員数2 樹種:アカマツ、員数2)【指定番号第8号】

指 定 日:令和3年1月13日 所 在 地:鳳至町畠田83-7

(上写真:写真中央から電柱の間、右からA,B,C 下写真:D)

A(クロマツ) 樹高:9.00m 胸高幹周囲:1.40m 樹齢:120年 幅:10.00m

B(アカマツ) 樹高:7.00m 胸高幹周囲:0.90m 樹齢:120年 幅: 5.00m 

C(クロマツ) 樹高:7.00m 胸高幹周囲:0.45m 樹齢:120年 幅: 5.00m

D(アカマツ) 樹高:4.00m 胸高幹周囲:0.80m 樹齢:120年 幅:10.00m

 昭和4年(1929)に輪島測候所が皆月から移設され、慶塚家は同10年(1935)に鳳⾄町郊外に漆器製作の自宅兼⼯房を構えた。この時、作庭と共に記念として輪島測候所へ松が寄贈された。輪島測候所は同61年(1986)に輪島地⽅合同庁舎として建替えられ、その際に松は慶塚家に戻されたものの、現在も樹勢よく、他の樹⽊とともに同⼯房の前庭を彩っている。当地の気象観測の歴史を⾒続けてきたもので、同家のシンボルとなっている。

永福寺の染井吉野(樹種:ソメイヨシノ、員数2)【指定番号第9号】

指 定 日:令和3年1月13日 所 在 地:鳳至町石浦1

(右)樹高:3.60m 胸高幹周囲:2.60m 樹齢:110年 幅:8.00m

(左)樹高:4.00m 胸高幹周囲:1.90m 樹齢:110年 幅:8.00m

 永福寺は泰澄により天平勝宝7年(755)に創建されたと伝わる。伽藍は兵⽕により焼失し廃絶したが、大本山總持寺(現大本山總持寺祖院)近くに總持寺五院の一つ、伝法庵の直末寺として開創された永福寺が明治に⼊り現在地に寺籍を移して再興、今⽇に⾄る。

 寺院には明治の開創の際に植えられたと伝わる樹齢100 年を超える染井吉野が隆々とし、春には境内を鮮やかに染め、参拝する⼈々を迎える。昭和24年(1949)俳⼈・⾼浜虚⼦が⾨弟7⼈と共に訪れ、永福寺で俳句⼤会を催した。これに輪島の俳⼈が120名も参加したと伝わり、その時の記念として句碑が建⽴されている。⾼浜虚⼦も愛でた桜は地域のシンボルとなっている歴史的な樹⽊である。

真照寺の椎(樹種:シイ、員数2)【指定番号第10号】

指 定 日:令和3年1月13日 所 在 地:宅田町27-14

樹高:21.00m 胸高幹周囲:4.80m 樹齢:450年 幅:12.00m

樹高: 8.00m 胸高幹周囲:2.80m 樹齢:450年 幅:10.00m

 真照寺は覚法により天⽂3年(1534)創建されたと伝わる。覚法は越前旭山城主の柴田家の出身で、加州善福寺の門徒であったとされ、当地まで教線を拡大した。

 境内の南側には樹齢450年とされる椎があり、創建まもなく植えられたとされ、長らく本堂を風雨より守ってきた。地域の歴史を⾒守ってきたもので、地域のシンボルとして親しまれている。

真照寺の染井吉野(樹種:ソメイヨシノ、員数1)【指定番号第11号】

指 定 日:令和3年1月13日 所 在 地:宅田町27-14

樹高:7.00m 胸高幹周囲:3.30m 樹齢:87年 幅:18.00m

 真照寺は覚法により天⽂3年(1534)創建されたと伝わる。覚法は越前旭山城主の柴田家の出身で、加州善福寺の門徒であったとされ、当地まで教線を拡大した。

 本堂正⾯には染井吉野があり、皇太⼦(現上皇陛下)御誕⽣記念事業として昭和9年(1934)に河原⽥川の沿岸(現在の輪島病院⼝付近から新橋付近まで)に桜と柳が交互に植樹され、その残りの桜が境内に植えられたと伝わる。河原⽥川の沿岸に記念植樹された桜や柳は道路事業で全て撤去され、当時の記憶を伝えるものは境内のもののみである。地域の歴史を⾒守ってきたもので、地域のシンボルとして親しまれている。

 

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